おはようございます!
今回は、佐賀県武雄市の「潮見神社」さんをご紹介します。
武雄市街地から山里の方へ向かうと、潮見川のそばに石の鳥居を発見。
その鳥居の先に、潮見神社さんがありました。
潮見神社は上宮・中宮・下宮があり、最初に目に入るのが社務所前にある中宮です。
中宮の拝殿にはおみくじがあったり、祈願の案内があったり、親しみやすい雰囲気。
拝殿の建物から向こう、少し坂を上ったところに中宮の本殿があります。
そんな中宮の拝殿で気になったのが、「お告げ御籤(みくじ)」です。
通常のおみくじと違い、竹の棒を2本ひいて、そこに書かれた文字からお告げを読み解くというもの。
ちなみに私は「黄」と「10」。
この解釈は参拝者に任せられているとのことで、なかなか難しいのですが(汗)。
「黄金(お金)が十分(10)入ってくる=リッチになる」
と、自分に都合の良い解釈をさせてもらいました(笑)。
そんな楽しい気分になりながら、今度は中宮から徒歩10分ほどで着くという上宮を目指します。
上宮へは、山の中のゆるやかな坂道を上っていきます。
歩きやすく、道案内の立て看板もあるので安心です。
途中で「潮見古墳」「潮見城跡」の看板もありました。
このお山・潮見山の中腹には、6世紀中ごろにつくられたという円墳があるのだとか。
古墳がある場所ではよく神社を見かけますが、ここもそういったパワースポットなのかもしれませんね。
また坂道の途中では、「三衣社」というお堂のような建物があり、「月読尊」をお祀りしてありました。
そうしてたどり着きました、こちらが潮見神社の上宮です。
木々を背に、どっしりと横に広がるご社殿。
建物の天井には、動物や人が描かれた天井画がありましたよ。
そして私がこの上宮で感動したのは、お社を背にして見た里の風景!
なんとも美しい景色で、すがすがしい気持ちになりました。
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潮見神社の起源は、神代の時代までさかのぼります。
この地域一帯が島見郷と称される小島だったころ、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の二柱を祀る島見社が鎮座されことがはじまりといわれています。
鎌倉時代になり、潮見城の初代藩主となられた橘公業公が、橘氏の祖・橘諸兄公を、伊奘諾尊、伊奘冉尊が祀られている上宮にお祀りされました。
またその御子である橘奈良麿公を中宮に、その子孫を下宮にお祀りされたそうです。
潮見神社さんは、「潮を見る」という社名のとおり、潮の流れ、満ち引きを見極める力があり、郷人・海人の崇敬を集めてきました。
健康・開運・家内安全・受験合格・恋愛成就・子宝成就・子どもの病気平癒・勝負事や投資の成功など、人生のあらゆる岐路の「潮時」を見定め、正しい道をお示しくださる「幸運の神さま」として厚く信仰されているそうです。
「潮時」を見定めるというのは、人生において本当に大事なことですよね。
特に何か迷いがあったり、新たなことを始めようとするときにお参りすると、パワーをいただけそうです。
そんな潮見神社さんですが、一つ疑問が残ります。
「下宮はどこ???」
これは社務所で聞いてみようと思い、神社の方に尋ねると・・・
なんと、中宮のすぐ横に下宮がありました!
ああ、こちらが下宮だったのか!
これは見落とさずにしっかりお参りしたいです!
そして無事に三社をめぐったところで、社務所でご朱印を書いていただきました。
河童の印がとっても可愛いです!!
実は神社の境内にも河童たちの石像があるのですが、この地区は「河童伝説」で有名なのです。
神社の近くを流れる潮見川には、「かっぱの誓文石」というスポットもあります。
この潮見の地に下られた橘氏の家来だった河童。
潮見川に棲むようになったのですが、元気が良すぎて人にいたずらをして困らせていたそうです。
そこで潮見神社の神主さんが河童達を説得し、誓文を取り交わして、人に危害を加えなくさせたという言い伝えがあるのだとか。
実際に潮見神社の宮司家には、河童除け・水難除けの呪文が語り継がれているそうですよ。
そんな不思議なエピソードも楽しみながら、ゆっくり潮見神社で三社をめぐってみてくださいね。
《潮見神社》
佐賀県武雄市橘町大字永島17343
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