おはようございます!
九州・沖縄・山口の神社やお寺を巡り、ご朱印をレポートする「ご朱印さんぽ道」。
今回は、長崎県長崎市にある「長照寺」さんのご紹介と、ご朱印をレポートします。
(2017年の記事を修正加筆しています)。
前回、前々回に引き続き、私の大好きなスポット「寺町通り」エリアのお寺さんのご紹介です。
寺町には14ヶ寺の寺院と、2社の神社が点在していて、神社仏閣好きにはたまらないエリアなんですよ~~
長照寺さんもその1ヶ寺で、寺町通りの中ほどに位置しています。
お寺めぐりをするなら一度は立ち寄ってお参りしたいお寺さんです。
アクセスも便利。
長崎市の中心街を走る路面電車に乗って、「市民会館」電停で下車。徒歩約6分でお寺に到着します。
金色の迫力ある文字が目印の山門
さて、寺町通りを歩いていると、通り沿いに長照寺さんの大きな山門が目に入ります。
こちらの山門には、山号の「光栄山」という文字が、金色で書かれています。
貫禄がありますね~~
山門は木材の傷みがひどくなってきたため、1998年に宮崎県産のケヤキの巨木を用いて建て替えられたそうです。
寺町の歴史とともに、江戸時代初期に開創された寺院
山門をくぐって境内を進むと、本堂が見えてきます。
こちらの本堂は、最初のものが1633年に建立さられ、その後何度かの再建を経て、現在のお堂は明治7年に建てられたものだそうです。
本堂の入口の両サイドには、立派な灯篭が立っていますね。
長照寺さんは、山梨県の身延山を総本山とする日蓮宗の寺院。
日蓮宗は、鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれました。
お寺自体の起源は1631年にさかのぼり、本通院日与上人によって創建されたそうです。
長照寺さんができたころの長崎は、大きな歴史の変動期でもありました。
当時、中国やポルトガル、オランダといった外国との貿易が許されていた長崎では、キリシタン信仰が広がっていましたが、日本の幕府の政策から仏教施設が多く建てられました。
長照寺さんもその1ヶ寺で、ここ長崎での布教活動の拠点であったようですね。
日蓮宗ならではの“神仏習合”に出会う
境内には本堂の他にも、いくつかの建物がありました。
その中の一つが、「最上位稲荷殿」です。
お稲荷さんといえば、神道の神さまですが、お寺の境内でもよく見られますね。
長照寺さんの稲荷殿は小さな祠ではなく、お堂のような建物で、お賽銭箱の横にはおみくじまでありました。
そして、天井から白い切り絵のような紙が下がっていたり、床の上にも白い紙のものが置かれてあり、独特な雰囲気です。
この白い切り絵のような紙は、日蓮宗のお寺さんではよく見られます。
これは、「幣束(へいそく)」といわれるもので、もとは神道(神社など)で見られるものでした。
でも日蓮宗の開祖・日蓮聖人は、日本古来の神道の秘伝を学び、この幣束を自らの宗派の中で伝えたそうです。
この幣束は、神仏の依り代(乗り物)、神仏そのものとしてとらえられています。
なので、この稲荷殿の中はとっても神聖な空間ともいえますね。
そして別の建物の「護国殿」の前には、石の鳥居がありました。
寺町通りの中でも、こんな鳥居があるのは珍しいかも。
神仏混合のイメージが強いお寺さんですね。
ちなみに「神仏習合」は、神社仏閣をめぐるときに知っておくと、より深く楽しむことができるキーワードだと思います。
「神仏習合」とは、日本土着の「神道」と外来の宗教である「仏教」が融合したものをいいます。
例えば、神道の神社でお坊さんが読経したり、仏教のお寺の中に神さまを祀る鳥居があったりと、日本ではそれぞれがうまく溶け込んだ信仰文化を形成してきました。
しかし明治時代になると「神仏分離令」が出され、神社とお寺は分かれることになりました。
これによって多くの仏教寺院がなくなったそうです。
でも現代でも、この神仏習合の名残は多く残っています。
神社やお寺を訪れたとき、その名残を見つけるのも面白いですよ。
畏れ多くもカッコいい!と思ってしまうご朱印
本堂にお参りし、境内を巡った後は、お待ちかねのご朱印をいただきます。
日蓮宗のお寺は通常のお寺と違い、「ご朱印」「ご朱印帳」といわず、「御首題」「御首題帳」といいます。
一部では、ご朱印帳と御首題帳を分けた方がいいという説もあるほどです。
今回はこれを理解したうえで、通常と同じように長照寺さんにご朱印をお願いしたところ、快く書いてくださいました。
「南無妙法蓮華経」
の文字が、日蓮宗ならではの独特な文字。
畏れ多くも「カッコいい!」と思ってしまう私です。
そんなこんなで、長照寺さんでのお寺時間も満喫させていただきました。
お寺の本堂の背後から風頭山上にかけては、墓地が広がっています。
長照寺さんの墓地には、著名な天文学者の西妙見氏のお墓もあるそうですよ。
歩くだけでも心がキュンとする寺町エリア
長照寺さんはもちろん、前回、前々回のお寺さんでも話をしてきた「寺町エリア」の魅力。
ここであらためて写真とともに少しだけご紹介しようと思います。
現在の寺町通りの景色は、江戸時代初期のころから始まりました。
風頭山を背にして、各宗派の寺院が建立され、ほぼ一列にずらりと14ヶ寺のお寺が並んでいます。
そして通りを挟んで少し歩くと、中島川がほぼ平行に流れていて、ところどころに橋がかけられているんです。
これらの橋を渡って寺町に入る感じになっていて、それぞれの橋とお寺の間は“参道”として機能していたようですね。
そんな寺町通りは、お寺が沢山あるだけじゃなく、通りの風情そのものが素敵!そう広くはない通りには石の壁が続いていて、思わず立ち止まって写真を撮りたくなる光景が続いています。
通りから山手の方に上っていく坂道もまたフォトジェニックです。
写真の坂道は、「風頭公園」や「亀山社中跡」に向かう道。
雨に濡れた石畳の坂道もまた風情がありますね。
幾度となく寺町エリアに足を運んでいる私ですが、ある日たまたま通りのお寺で「長崎くんち」の「龍踊り」の様子を見ることができました。
長崎くんちとは、長崎の氏神である「諏訪神社」の秋季大祭で、10月の7日から9日までの3日間、行われます。
この時期は地元の方も観光客もとっても多いのですが、実は本番が近づく夏ごろから、お祭りで奉納される演舞の練習光景を見ることができるのです。
私が見たのは、「これぞ、長崎くんち!」といいたくなるような「龍踊り」。
エキゾチックでノスタルジックな寺町の景色に溶け込んでいて、思わず見とれてしまいました。 このように季節ごとの楽しみもある寺町エリア、是非ぜひお寺めぐりとともに散策してみてくださいね!
《長照寺と周辺情報》
◆住所/長崎県長崎市寺町2-1
◆参拝時間/境内自由
◆アクセス/GoogleMAP
◆参考サイト/
◆近隣のグルメスポット
御菓子司岩永梅寿軒
◆近隣の観光スポット
風頭公園展望台
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